武士の家計簿 −「加賀藩御算用者」の幕末維新/磯田 道史

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)

その題名から想像していたものをはるかに超える面白さでした!
最近読んだ「国家の品格」で紹介されていたので、流れで何気なく読んでみたところ、神田の古本屋で見つかった古文書を買い求めに行くワクワクする冒頭からぐいぐいと引き込まれる。江戸から明治初期の武士階級の家計状態を経済学的に解析している本かと思いきや、百数十年も昔の加賀の猪山家の皆さんの生活や息づかいがすぐそこに感じられるほどに、どのように暮らし、どのように考え、どのような人物だったのかが生き生きと描かれていました。
借金の返済に苦しんだり、コツコツ働いているのが評価され昇進したり、単身赴任があったり、教育にかけるお金は聖域だったり、お受験があったり。今も昔も同じなんだなぁ、と、しみじみしてしまうのです。
幕府が崩壊して明治の時代が来るという、激変の社会情勢にあって一番役に立ったのは結局自分の能力であったという結果は、ものすごく大事なメッセージですね。これは、「人間の財産は頭と心の中にあるものだけ」と言い聞かされて育てられたという、ピーター・フランクルさんの著書の時に書いた感想と根っこは同じだなぁ、と思います。きゃーちゃん、母はこのことをしっかり君に伝えたいと思うぞ。
この本の後半で、直之じいちゃんが孫の綱太郎への教育が「我等の奉公」と心得て東京単身赴任中のパパ成之に代わり「教育じいじ」よろしく面倒を見ている様子が微笑ましいやら、怖いやら。小学校に上がった綱太郎へ家族中が学校の様子を尋ね、「綱太郎どん」と呼ばれると「ハイ、ハイ」と返事をするのがあまりに可愛くて直之を一笑させたというエピソードの一方、直之が成之に宛てた手紙の現代語訳で

(孫二人は)知恵がつく最中で、善くないことがあれば、めきめき叱るのは私の役目と心得ています。あなた(成之)が幼少の頃、算盤で頭を殴ったところ、算盤は破損し、(算盤の)ツブは流しの前に飛び散る位のことがありました。「それすら、只今、八等官なり。東京の父上様は綱太郎を一等官にも致すべき了簡であると思って、こうしてイジメているのだ」と叱ると、(綱太郎は)恐縮の体です

「おまえを海軍一等官にするために勉強でイジメているのだ。だから算盤で頭をぶつ」という教育を、満五歳から受けて育った人間は、どのような思想を内面化するのであろうか。この先が恐ろしい気がする。しかし、幼少時から算盤で頭をぶちのめして会計技術を叩き込み、今の猪山家があるのは事実であった。

という部分なんか、「うーーーん。恐ろしい。」の一言。子育て中の母の心境としては、子供の教育に対してどれくらいの強度と熱心さで関わるのがBESTなのかというのは、永遠のテーマでもあります。
その後の猪山家はどうなったのだろうか、現在の末裔は?と他人事ではないように気になります。
で、何かとネットを検索してみると、何とこの本、映画化されるんですね〜。たいむりー。楽しみです。